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不妊去勢手術の動物病院紹介は……

遺棄された犬の最期

 1999年8月15日、湯河原町を走行中ふらつきながら歩いている雑種犬を路上にて保護。すぐに車に乗せるが、倒れて動かなくなる。痛みのためか、断続的に大きな声で悲鳴をあげる。腹部に大きなボール大のしこりが二つと腫瘍がたくさんできており、触ると石のように硬くて重い。


 3時間後、横浜の動物病院に到着、院長の診察により、ガンと判明。ここまで腫瘍が大きくなるには何年もかかっているとのこと。(道中水も食べ物も一切受け付ける力もなく、苦しそうに息をしているだけ)かなり長い間激痛に苦しんだに違いない。もう全身に転移していて、助かる見込みはない、早く苦しみから解放してあげた方がよいとの判断から安楽死を決意。30秒とかからず、息を引き取る。

 状況から見て何度もお産をした挙句捨てられ放浪していたのだろう。年もかなりとっていた。何度も子どもを産むから捨てられたのか、ガンができたので捨てられたのか、いずれにしろどのくらい放浪していたのか想像もつかない。ただ言えることは、かつて人間に飼われていたという事実だけである。動物はどんなに痛くても、どんなに苦しくても自殺することはできない。ただじっと死期が来るまで耐え抜くしかないという事実を目の当たりにして、動物に生まれた過酷さを考えずにいられなかった。

 しかし今回何よりショックだったのは、何日も、何ヶ月も人の目に触れていたのにもかかわらず、こんな状態までだれも手を差し伸べる人がいなかったことである。食べ物も水もなく、石のように重い腫瘍をぶら下げて炎天下の中をどんな思いでこの犬は歩いてきたのだろうか。死にたくても死ねない地獄の中で必死に助けを求めていたのかもしれない。もっと早く発見していればこんなに長い間苦しませずに済んだのにと無念でならない。この犬がどんな悪いことをしたというのだろう。やっと苦しみから解放された犬の顔を見ながら、捨てた人間に代わってただひたすら謝ることしかできなかった。


 今回のような犬は氷山の一角に過ぎない。こうしている間にもたくさんの犬や猫が生まれては捨てられ、飢えと病に苦しみながらさまよっている。助けることができるのは、ほんのわずかでしかない。今回のような犬はさすがに都心では見かけなくなったが、地方ではまだいたるところにいるのが現状だ。ペットブームでさまざまな種類の犬猫がもてはやされる中、雑種といわれる名もなき犬や猫がどんなに差別され悲惨な最後を送っているか、すべての人に知ってほしい。哀れな動物たちの数だけ無常な飼い主がいるということにやりきれない思いを抱きながら、この活動をしている人は見えない敵と戦っている。

1999年8月 多田

  • ※このような状態にあっても、獣医師の仕事ではないと安楽死を断る病院が日本には多い。



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